
便利屋・不用品回収で飯を食う
「今はサラリーマンとして仕事はあるけど将来が不安」
「給料が安いし上がらない」
「仕事時間が長い」
「通勤電車に疲れた」
「こんな私も何か人の役にたてることは、あるんだろうか?」
こんな方に読んでもらいたい本です。
まえがき~便利屋との出会い~
この本を書いている私は17歳の夏、高校を中退した。
そのころはまだ有限会社だった「しちりん」という焼き肉チェーンでバイトをしていた。
そして様々なアルバイトを経験しながら、あの頃まだ法律が追いついていなかった為、いまよりもブラックな職業はとてもたくさんあった。
その中でも100万円以上稼げるという求人広告を見つけ「闇金融」の会社に入った。
「ウシジマくん」や「ミナミの帝王」で有名なアコギな商売だ。
働いてみると思ったよりも楽しく、「ヤクザ」との関係は内容だったが上司に対する礼儀など基礎から教わった。
あのころは、個人情報今のように厳しくなかったため、多重債務者や破産者リスト等があちらこちらに転がっていた。
そういう情報を元にDMを大量に送付し、電話で受け付け審査をし、融資をしていた。
審査と言ってもグループ会社の横のつながりでトラブルはないかどうかだけのシンプルな審査だ。
10日で3割・7日だと5割。
まだ無知だった少年の私は、言われたとおりに貸し付けをし。
15時を過ぎると催促の電話。
夜になると連絡が取れなくなった自宅に行き取り立てを行った。
今思えば完全に犯罪の片棒を担がされていたんだとわかる。
そんななか、警察が入り会社は実質倒産した。
その後、あの頃流行っていた「出会い系サイト」の会社に入社した。
今では、フェイスブックなどがあるので、わざわざお金を払って出会いを求める事はないだろう。
だがあの頃は、お金を払わないと男女の出会いは無かった時代だ。
有名どころで言うと「スタービーチ」という出会い系のサイトがあった。
その出会い系サイトでは「サクラ」と呼ばれるスタッフが、客の相手をしてサイト側は、ポイントを払ってメールのやり取りを楽しむというシステムだ。
あるいみ、現代で言えば完全に詐欺と言われてしまうのだろう。
そんな会社で最短でサイト管理者まで上り詰めた私はこう思った。
「仕組みも稼ぎ方も分かるんだから自分でできるだろう」
と。
そして、出会い系サイトのシステムを買い、自分で始めた。
顧客は名簿やから購入し、運営自体は何も困ることなく進んでいった。
ただ欲張りだった私は、さらに売り上げを伸ばそうと、闇金時代に学んだ取り立てを行うことにした。
もちろん出会い系サイトは、メールや自動電話で脅しの連絡はするが、直接回収には行かない事を知っていた。
そして出会い系サイトを使っている客を捕まえるのはとても簡単だった。
「なんでかって?」
それは、女のふりして連絡すればノコノコやってくるからだ。
そして、請求する名目は、「後払いシステム」というプランがあるのだが、その後払いの支払いをしていない客を6カ月以上寝かしてから請求するわけだ。
そうすれば、遅延損害金と言うことでさらに請求額を上げられるから。
一人当たり100万円以上の金額になったら、メールで待ち合わせして、回収する。
これが思いのほかうまくいき、一日の回収金額は200万にも300万にもなった。
「不味いラーメンを食っても金払わなかったら食い逃げだよな」
という大義名分をぶら下げて、背伸びしたガキ(私)はバンバン稼いでいった。
だが、そんなに世の中は甘くなかった。
ある晴れた朝5:00頃
「ピンポーン」
と玄関のベルが鳴る
私はすぐに感づいた
一度闇金時代に経験しているからだ
案の定、警察がインターホンのモニターから沢山見えた。
そう、捕まったのだ。
そのまま、留置所にいれられ、接見禁止も付けられた。
だが、わたしには「遊んで金を払わなかった客」しか取り立ててないので自信があった。
そして弁護士も付け、処分保留で釈放された。
だが、やはり人様に迷惑をかける商売はもうやめようと留置所のなかで誓っていたので、人の役に立てる仕事はない物かと探していた。
そんなある日、「資源回収ドライバー募集」という求人を見つけ、面白そうだったので飛びついた。
入社し一日トラックの横に載せられて、仕事内容をみさせられ、次の日からはもう一人でスタートさせられた。
あのころは、軽トラックに拡声器を付けて、街をゆっくり放送しながら車を走らせていると、客がでてきて不用品を出してくれていた。
そして、お金を払った上に
「ありがとう。ちょうど困っていたの」
「助かったわ」
などとお礼も貰えて、こんな良い商売がこの世にあるんだなと驚いたほどだった。
そして私は、自分なりにマニュアルを作り、資料も用意して一軒一軒ピンポンを押して御用聞きをするようになった。
拡声器でボーっと走っているよりも、こうやっているほうが不用品もどんどん集まった。
そして私の所属していた店舗では2か月目にして売り上げ1位になった。
ある日、まわりを見渡すと古くからいる人間たちが、愚痴や嫌味を毎日言っている事に気づいた。
そこで私は思った、こんなバカたちと一緒にやっている必要はないなと。
特にあのころ便利屋・不用品回収という職業は落ちこぼれが集まる業界だった。
だからなおさら私は勝てるな!っと実感してすぐに軽トラックを購入して一人でこの道を歩む事となった。
これが私の便利屋との出会いです。
あれから19年間、いろいろありましたが年商5億の企業に育て上げ、現在は39歳にして引退しフィリピンで暮らしながら便利屋を開業する人たちのサポートを行っています。
そして10巻にわたって「便利屋・不用品回収」について、私が実際に経験してきたノウハウや失敗を電子書籍にまとめる事にしました。
是非!最後まで読んでいただき、新しい人生への懸け橋になれたら幸いです。
実際の私の店舗はこちら
便利屋アールファイブ
生前整理協会(仙台)
生前整理協会(東京)
http://tokyo-fuyouhin-kaisyu.net/
エコキューブ
暮らし110番
https://sendai-kurashi110ban.com/
こちらは私が引退し、役員報酬として報酬を頂いている会社です。
今でもきちんと利益上がり続け年々成長しております。
便利屋・不用品回収のメリット
この章では、便利屋をスタートした私が実際に経験したメリットの話をしていきます。
便利屋ビジネスやるしかない!