
エンジニア挫折してWeb制作会社の営業になってHSPと判明した30歳の末路
はじめに
とりとめのないタイトルですみません。
以前に公開した、『エンジニア転職失敗者が語るSESかWeb系か論争の決着』という記事は400人以上もの方にご購入頂き、たくさんの嬉しいお声を頂戴致しました。
現在も多くの方に購入してもらっています。本当にありがとうございます。
今回のお話は、その続編という形になっておりますが、前回の記事を読んでいない方にも分かる内容となっております。
簡単に前回のお話を3行でまとめると、
・30歳手前でWebエンジニア目指す
・転職を数回繰り返して望み通りの環境にはたどり着いたものの、
・実際のガチエンジニアのレベルについていけず挫折した
というものでした。
そして、Web制作会社にディレクター兼営業で入社することになった、というところで終わっています。
今回は、その後のぼくのキャリアがどうなっていたかについて書いていきたいと思います。
大きな変化としては、この期間中に赤ちゃんが産まれました。
そんなぼくのお話なのですが、特に主張はありません。
興味ねーよって方はお金出してまで買わなくていいです。
そして今回も残念ながら、成功体験ではありません。
ましてや「30歳超えてから〇〇に挑戦し、年収が1,5倍に!」みたいなキラキラしたやつでは全くないです。
「まぁ、人生うまくいかねえもんだよな。ほら、こいつで美味いもんでも食えよ」的な感じでご購入してくれればとても嬉しいです。
フロントエンド志望でWeb制作会社へ応募したら、気付けば営業職として1年が経っていたからくり
ぼくはWebエンジニアで独立することを目指して、新卒から5年半勤めた会社を辞め、数回転職を経験しながら技術を身につけていってました。
で、2019年1月、ゴリゴリのWeb系ベンチャーにPHPのエンジニアとして入社するも、あまりのレベル感の高さと自分の至らなさに絶望し、わずか1ヶ月ほどで退職を余儀なくされました。
しかし、コードを書いて仕事をするということをやりたいという思いは変わらず、やや技術的な障壁の少ない、フロントエンド志望で転職活動をすることになるわけです。
そして、あるWeb制作会社で内定を頂いたのですが、それはなぜか営業職でした。
はい、ここで問題です。どうしてこんなことが起きたのでしょうか。
以下からは、2019年2月の、Web制作会社の採用面接の際でのやり取りを振り返ります。
じくあし「フロントエンド志望です。一応前職はLaravel触ってました。Webページ作れます。JSも触ります。Bootstrap使います。ポートフォリオこんなです。」
社長「なるほど、”コーダー”志望だね。実務経験がないから、20万円スタートとかになるよ。厳しくないの?」
じくあし「は、はぃ。まぁそれは覚悟の上です!」
社長「他にも幅広く色々やってるみたいだし、コミュニケーションも上手そうだから、ディレクター職というのには興味はないかい?」
じくあし「は、はぁ。でぃれくたーですか…」
社長「その方が、これまでの経験を活かして仕事が出来るし、給与も25万で提示出来るよ。」
じくあし「なるほどですね。」
(たしかに、家庭がある身で月給20万はさすがにしんどい。新しいチャレンジだけども、経験も活かしつつ出来るというのなら、悪くないな)
社長「ただし、営業職の経験があるから、ディレクターと兼ねて営業もやってほしい。そこで成果出してくれれば、半年後には30万にするから。経験あるから、きっと活躍出来るよ。」
じくあし「まぁ、たしかに余裕ですね。わかりました。」
こんな形で、晴れて採用。
もらった名刺には「営業/ディレクター」という肩書の記載が。
しかしその後、ディレクターの仕事をすることは一度たりともありませんでした。。。
なぜか上手く行かない営業
じくあし「こんにちは!御社のHP作りませんか? え、要らない?そうですか、まいどありー」
そんなこんなで、とりあえず営業として働き始めます。
しかし、営業職の経験は5年半あるはずなのに、営業活動はうまくいきませんでした。
今の会社の営業はやや特殊です。
一般企業にHPの新規制作の提案をする営業。
ですがその一般企業というのは、弊社が提携している会社のお客さんなんです。
つまり、
お客さん ← じくあし&提携会社 でセールスに行く、という形なわけですね。
じくあし「ふーん、新規開拓とかしなくていいわけやな。楽勝やん!」
と思っていたのですが、そんなに甘い話ではありませんでした…。
商流がひとつ挟まっているので、実際の商品価格よりも、当然金額は上乗せされるわけで、お客様からしたらかなり割高にならざるをえないのです。
これが結構厳しくてですね。。さらに他社も絡んでいることから、色々と気を使うところも多い。
・・・・・
・・・
〜営業経験とはなにか〜
今から思えば、僕自身に「営業」という仕事の経験はほとんどありませんでした。
ぼくは新卒で人材派遣会社に入社し、正社員で「営業職」とういポジションで5年半働きました。
工場や倉庫、介護施設といった先が顧客となり、人材が不足していれば、人を集めてきてそこで働いてもらい、マージンをもらうというお仕事。
テレアポ、飛び込み、DMなど、古典的なあらゆる手段を駆使しして、新規の顧客開拓に邁進する毎日でした。
しかし、当時ぼくがやっていた人材の営業なんてのは、ほとんどが
じくあし「人出要りませんか?」
客「いい人が居たら連れてきて」
という2ラリーくらいで済むお話です。笑
重要なのは、「なるべく費用をかけずに、その会社で働きたい方を見つけて、なるべく長く働いてもらえるか」ということ。
簡単に言えば、求人広告にお金をたくさんかければ、人(=商品)が多く仕入れられるわけで、
それを適正な価格で売ることが出来れば、それで毎月チャリンチャリンとお金が儲けられるというシステムなんですよね。
巧みな話術も、巧妙なトークも、ヒアリング力もそこまで重要ではありません。
その一方で、現職であるWeb制作会社での「営業職」は、いわゆるセールスマンです。
「はじめまして」で会った人に、「◎◎で困ってますよね?この商品にはこんな魅力がありますよ、こんな風にお困りごとを解決出来ますよ」
っていうように相手を納得させて、商品を購入してもらうのが仕事です。
細かなヒアリング力、そして提案力、トーク力、等々様々なスキル・テクニックを駆使して、お客さんから「買います」のひとことを引き出さねばなりません。
これまでに経験があった「営業職」と現在の「営業職」は、似て非なるものだったわけです。
ということに気付き、絶望を覚えながらなんとか目の前の仕事に取り組むも、成果はいまひとつ。
しかし社長からは
社長「経験があるからじき芽が出るさ!期待してる!」
と言われ続け、1年が経過。もちろん芽は出てない。出るのは下っ腹だけ。
人間関係・対人関係でうまくいかない
そして、社外での営業があまりうまくいっていないのですが、社内の人間関係でも気を揉んでいます。
今の会社は、特に「ほうれんそう」を迫られる機会が多いです。
恥ずかしながら、ぼく「ほうれんそう」ってめちゃくちゃ苦手なんですよ。。
ホント、社会人として恥ずかしいくらいに。。
その要因のひとつが、ほうれんそうをする相手である上司が、かなりのパラハラ気質という点にあります。
とにかく声がでかい。罵声をあびせる。「オマエ」呼ばわり。
同じ部屋に居るだけで「圧」があり、なるべく接触したくないんです。。
同じ部署の先輩営業さんは、毎日のように怒られていました。それも静かなオフィス内に響き渡る大声で、
ゆっくりと作業をしたいエンジニアやデザイナーさんたちの目の前で。
その上司とは完全に相性が合いませんでした。
でも仕事はその方に教えてもらわないといけない。
→でもなるべく関わりたくないから、自分で解決をしようとする
→ミスや間違いにつながり、大声で怒鳴られる、
→余計遠ざるようになる
→さらにミスにつながり、成績は上がらない
→大声で怒鳴られる
というもはや死のループ。。。
そうして営業成績が上がらないと、どうしても会社での居心地も悪くなります。
いつしか、人と接することそれ自体が怖くなってくる。
なるべく人と関わらないでいいように。自分ひとりで解決出来るように。
そう考えながら仕事をしていくようになりました。
しかし、当然ながら組織での仕事というのは、多くの人の助けをえながら、知恵を借りながら、互いに協力しあって作り上げていくものです。
なので、閉ざしがちになってしまったぼくは、ますます仕事がうまくいかない…。
ちなみに、人と話すと赤面するとか、どもってしまうとか、受け答えが出来ないとか、そういうことは全然ありません。
人見知りをするタイプではないし、初対面の人との会話や、コンパでの立ち回りなどは、一般的には得意とされる方です。
結婚式の余興だったり、2次会の司会進行を頼まれたりしたことも一度ならずあります。
しかし本業の仕事の場においては、どうしても人間との関係でうまく立ち回ることが出来ないでいました…。
入社して1年。コロナショックの最中に…
そんなこんなで、もやもやした日々が続いて、入社から1年が経った2020年3月。
方方からの風当たりもきつくなり(ように感じている)、精神的にも辛さがピークになってきます。
そしてとあることをきっかけに、パワハラ上司に副業がバレてしまいます。
情報発信で収益を得ていること。
複数の企業からもお仕事を頂いて収入を得ていること。
ゆくゆくはそちらを本業にして独立したいと考えていること。
それらを話すと、上司はとても驚いた様子でした。
基本的に弊社は、副業は禁止とされています。
その後何度か話合いをした結果、2020年3月末、ついにぼくは退職することを決意しました。
その旨を後日上司に伝え、そこから社長に報告が上がる。…はずだったのですが…、