【無料短編小説】舞妓がインスタ始める時代になりましたがあの馬鹿女の顔だけは。

  • 2020年2月1日
  • 2020年7月3日
  • Brain
【無料短編小説】舞妓がインスタ始める時代になりましたがあの馬鹿女の顔だけは。

【無料短編小説】舞妓がインスタ始める時代になりましたがあの馬鹿女の顔だけは。

さっさー
2020-02-01 12:11:31
0 件のレビューがあります
平均スコア ">

今となっては昔のことだ。

仕込みから舞妓になった四年目のある日、私に置屋のお母さんから水揚げの話が持ち上がった。つまりは旦那という名のスポンサーを持たないかというのだ。

世間で水揚げと言えば、髪型を「割れしのぶ」から「おふく」へと結い替える髷替えを形式的に指すようで、色事を伴うそれなど遠い遠い過去の儀式だと思われているようだが、少なくとも当時の私の眼前の世界ではごく当たり前のように行われていた。

私に持ち掛けられた水揚げ料はかなりの金額で、身寄りのない私を十四歳の時に拾ってくれた置屋のお母さんに報いる額としては適当だった。そしてすっかり売れっ子舞妓となった私の価値への値付けとして十分に得心の行く額だった。

水揚げ後に芸妓になって独立すれば置屋の細かいしきたりやつまらない人間関係から逃れられるし、それを数年務めた後には旦那になる方が私を花街から落籍せるつもりだと聞いたし、もはや慣れ切ってしまったこの世界にほとほとうんざりしていた私は、嬉々としてその話に飛びついたものだ。

なにより、自他ともに認める私の魅力をもってすれば舞妓のあとの芸妓であれ、そこから足を洗った生身の私であれ、それらの人生が順風満帆に行くことは火を見るより明らかだった。

当時のことはこれから詳しく述べるとして、それにしても、あの馬鹿女の顔だけは一生涯、目に焼き付いて離れることはないだろう。

お母さんには当座の金額が転がり込むとして、この先、私が抜けることで置屋の経営が傾くことは自明だ。

そこらの普通の少女が華やかな花街のイメージだけに憧れて、置屋に入った途端に待っている先輩達からの小間使いのような扱われ方に耐えられず、こんなつもりではなかったと一年も持たずに辞めていく仕込さん。

そこから舞妓になれたはよいものの、さらにその先に待っている次々と覚えなければならない花街ならではの慣習や作法、毎日のように繰り返される唄や舞などの芸事の厳しい稽古。

それらの日々に嫌気がさしてひっそりと消えるように居なくなる者もいれば、出来ない自分に嫌気がさして悔し泣きしながら辞めていく者もいるが、まあどちらにせよ、彼女らの気持ちも多少分からなくはない。

なにやら世間では舞妓ブームとやらが起き、各地方から置屋に履歴書が大量に届いたのも過去の話だ。届いた多くの履歴書に、舐めるように目を通すお母さんのあのいやらしい顔も今となっては懐かしい。そんな表情も、一時は数十人もいた彼女らの残り香とともに一瞬にして消え去った。

置屋に籍を置いている数名の芸妓も、独立の目処さえ立てば、遅かれ早かれここを去っていくことだろう。

すでにこの置屋の舞妓は稼ぎ頭の私を含め四人しかいない。

仕込みとして修行を始めた時期がたまたま重なっただけの同期の二人と、二十歳を過ぎても芸妓になれる気配すらない姉さん。

舞妓になる日が運よく早かっただけで、私達同期の三人は彼女を「お姉さん」と呼ばなければならない。形式上、面と向かった時だけそうしているに過ぎないが。

私は偶然にも姉さんと同郷で、二人きりの時だけはすっかり染み付いてしまった京ことばを当然のように使わない。それを彼女は同郷のよしみだとでも思っているのか、何ら咎めることはない。

私としては気を許しているわけなど毛頭あろうはずもなく、いやしくも目上の姉さんには然るべき京ことばで受け答えするという絶対のルールに敢えて触れている。この花街での実力は私のほうが上だと暗に示してあげているのだが、何をやらせても鈍い彼女は無論気付くはずもない。

そんな彼女がいつまで経っても芸妓になれないことについに業を煮やしたようだ。突然辞めると言い出したのだから面食らわずにはいられない。数時間前にお母さんから受けた水揚げの話で浮足立っていた私の心に冷や水を浴びせるようなものではないか。何を考えているのだ、あの馬鹿女はまったく。

歳を重ねてたいしたお客もつかず、お茶屋さんからの呼び出しもめっきり減った彼女の役目など、せいぜい後進を育てることぐらいだろう。自らの代わりに彼女らを働かせ、これまでのただ飯に報いるのが筋というものだ。

ただでさえ傾きかけているこの置屋であれこれと好き勝手に習い事をし、気に入った着物を意のままにお母さんに買ってもらったのはどこのどいつだ。その恩返しもせず、ましてや故郷までの片道の切符代まで出させようとしているという。

立つ鳥跡を濁すとは彼女のことではないか。こうなれば置屋をこれ以上濁させるわけにはいかないし、それ以上に彼女を立たせるわけにはいかない。

そう決意して置屋の奥にある座敷に姉さんを呼び出したのだった。

「売れっ子んお姉さんが辞めてここはどうなるんです」

相も変わらず畳のその先に視線を上げることは出来ない。嘘をつく時の右頬の引きつり。これでも幼かった頃は必死に直そうとしたものだ。嘘をつく度、右の頬がピクピクと痙攣を起こすかのように引きつってしまう。これでは嘘が嘘だと言っているようなものではないか。

ただ、花街に入っていつの頃だろうか、私は直すのを諦めた。いや、止めたという方が正しいか。

嘘で塗り固められたこの世界において、どの私が嘘で、どの私が本当なのか。嘘を重ねる人生のなかで、頼りになる一筋の明かり。その一筋の神経はいつしか私の寄る辺となった。頭の奥から送られてくる信号が、警鐘を鳴らす闇へのサイレンとなるか、明日への希望を示す道標となるか。賭けてみることに決めたのだ。

「そうなんけどさ……」

「お姉さん」言葉を遮り、私は続ける。

「辞めるんも、もっともだと思います。お姉さんならきっとどこへ行っても成功します。こん私が保証します。でも常連さんらはどうするんですか。お姉さんをお目当てに、皆さんご贔屓にしてくれてます」

右頬がさらに引きつる。もっと視線を下げないと。自分自身に言い聞かせる。

「私が言うんもあれです。本当、生意気なんは分かってます。でもこれだけは言わなくちゃと思うんです。あん同期、二人とも優秀です。最初は私んほうが出来るかもなんて。そう、見ちゃいけん夢いうんですかね。将来ここん看板を背負うんは私かもなんて。本当にくだらん夢見ちゃってた頃もありました、正直」

「そんなこと……」

「でも」語調を少し強く。ここまで来れば、姉さんが意を翻すのは分かっている。単純で気弱な性格はこの五年弱の間で知りすぎるほど知っている。ただ飯食いのあんたを辞めさせてたまるものか。

「お姉さんが今んまま看板でいてくれたら、そして可愛い仕込みさん達やあん優秀な同期二人をしっかり育てていただければ、ここは一生安泰です。私んような間抜けがいなくなったところで何も変わりません。それに比べてお姉さんが抜けた穴を埋めるなんて。私にはもちろん無理だし、二人にだってまだ荷が重すぎます。重すぎるなんてもんじゃありません。地球ん重力が無くなったって……」

前のお座敷でちょっと飲み過ぎたせいだろう。酔ったときの癖だ。ぺらぺらと軽口が出てくる。まあいいや。

「地球ん重力が無くなったって、看板ん荷だけは浮きませんよ、きっと。どしんと腰を据えて……」

ちらと一瞬、目線だけでその顔色を伺う。頬を少し緩めたようだ。単純で馬鹿な女。さて、荷造りでも始めようかしら。

「それではおおきに、姉さん」

すっかりのぼせあがった顔で座敷のふすまに手をかける彼女の背中に向かって、心の中で吐き捨てた。

舞妓から芸妓になっても当分は置屋に籍を残すのが一般的なのだが、私が一般の舞妓であろうはずがないのは当然のことだ。

今までお母さんに見てもらった世話への恩返しはお金が解決してくれたし、今後もお茶屋さんからの呼び出しは無くなるどころか増える一方だろうし、なにより旦那という強力なスポンサーを得た私には、芸妓としての独立への迷いなど浮かぶはずもない。

もちろん、後輩を育てる務めを残して置屋を去ることは気掛かりだったが、お金を手にしたお母さんの久しぶりに見るいやらしい顔を見た途端、そんなことどうでもいいかと変心した。

水揚げで旦那を得るとともに、舞妓から芸妓になるための儀式である衿替えを済ませた私は、意気揚々と置屋を後にした。

身寄りのなかった私をここまで育ててくれたお母さんに対しても、衿替えに伴う費用をすべて負担してくれた旦那に対しても、この身ひとつで報いてあげたわけだが、晴れて独立するというのがここまで気分の良いものだとは思ってもみなかった。

置屋からのお小遣いと常連さん達からのご祝儀だけでは、私の実力と魅力を十分に価値付けられるわけがなく、やはり目に見える形で懐に入る稼ぎというのは快い。

当然、独立した以上はこれからも掛かってくる着物代から稽古事の月謝まで自前となるわけだが、それらの何から何まで旦那が持ってくれるし、旦那の用意してくれたマンションの住み心地も今のところ悪くはない。

私が暮らしていく場所として相応しい大きさではないものの、それよりも置屋での煩わしい共同生活からの解放感といったら、もはや形容しがたい気分だった。

あのあと結局姉さんは辞めることを翻意したのだから、お母さんも少しは私に感謝ぐらいはしてほしいものだが、今となってはそんなことは過去のことであり、どうでもよいことだ。

それくらい私の気持ちは晴れていたし、それ以上に旦那に隠れてこのマンションで逢っている彼が私の心も身体も満たしてくれていた。

彼とは私が舞妓になったばかりの頃に出会った。

男衆として駆け出しだった彼が、私が十五歳の頃だっただろうか、着付けのために置屋に初めて顔を見せた時に、一瞬のうちに心がときめいたことを今でも覚えている。

その日に彼に着付けしてもらえることが分かると、いつもとは違い、その順番を待つのも苦ではなく、幼心にも胸の高鳴りを抑えることが出来なかったものだ。

それから何度も着付けをしてもらい、顔を合わせる度に少しずつ声を掛けるようにした。どうでも良い話を彼に持ち掛けてはいつも相談相手になってもらい、まだ若かった私達が恋仲になるのに時間も掛からなかった。

お互い修行中の身であったから時間も無ければお金も無いうえに、舞妓の私には恋愛もご法度だった。それでも置屋のお母さんや先輩達の目を盗んでは彼と密かに逢っていた。

私に傷をつけてはいけないと彼は肉体関係を迫ることなど一切なく、その清潔感が、汚らわしい世界で生きる私の心をいつも救ってくれていた。

旦那という男が初めての相手になることは自由を手に入れるための代償だと割り切った。それよりも、これでようやく彼とは心も身体も一緒になれるのだ、と息も弾む思いでお母さんからの水揚げの話を彼に告げると、少し哀しい表情を見せたあとに「別れよう」と一言だけ呟いた。

私は彼を手放すどころか、もはやその存在なしでは生きていく意味が分からないほど心の支えになっていて、彼からの言葉を受け入れられるはずもなく、必死になって引き留めた。

「大丈夫。旦那には私がバレないようにする」

嘘ばかりで生きてきた私の人生に、もう少しほどの嘘が増えたとしても大したことではない。

「絶対に大丈夫」

右頬を引きつらせることなく彼を見つめ、自分に言い聞かせるためにも、もう一度だけ呟いた。

それから何度も彼とは逢瀬を重ね、その都度旦那には嘘を重ねた。

旦那が気分次第でマンションを訪れてくることにはなかなか難渋したものの、子供騙しのような簡単な嘘にも気付く気配すらないほど単純であり馬鹿な男であった。

旦那とは会話をしている時よりも抱かれている時のほうが気分は楽だった。無言で顔をうずめているだけでよく、声を発したとしてもわざわざ右頬を隠す手間も省けるというものだ。

それに比べ、表情などというものには一切気を使うことなく、周りも見えなくなって彼の腕に抱かれていた私は、所詮、夢のように儚い景色を見ていただけなのかもしれない。

突然の出来事だった――。

一人で眠りに就こうとベッドに横になった矢先、マンションの私の部屋の鍵が開く音がし、顔を真っ赤にした旦那が乱暴に入ってきた。

その赤ら顔に初めは、どうせまた花街で飲んで酔っているのだろうとたかをくくっていたのだが、どうやら様子が違うと思った直後には張り倒されていた。

旦那は「何もかも聞いたんだ」と繰り返し言いながら、私を殴る手を休めなかった。何の抵抗も出来ず、殴られ続けた私の耳にふと、「あの舞妓から」という言葉が飛び込んだのと同時に意識を失った。

どうやら、あの置屋の舞妓の誰かが花街の席で、私が彼と密かに逢っていることを旦那に吹き込んだようだ。どのようにしてその舞妓が情報を手に入れたのかは定かでないが、少なくとも私の落ち度ではないことは確かであった。

それよりも私は、「あの舞妓」というのが姉さんのことだと直感した。

今はもうあの置屋で三人となった舞妓のうち、二人の元同期から恨みを買う覚えは一切ないし、なにより姉さんと旦那は単純で馬鹿という共通の人となりを持つこともあって、互いに惹かれ合い、私に隠れて深い仲にでもなったに違いない。こうなればもうどのようにしても嘘は通じないだろう。

そこから待っていたのは地獄のような日々だった。花街で旦那のどんな力が働いたのかは知らないが、私と密通していた彼は男衆を辞めざるを得なかったようで、私の前に二度と姿を現すことはなかった。

それ以上に辛かったのは、マンションの鍵を変えて私が逃げられないように閉じ込めたうえ、毎晩のように続く旦那からの暴行と虐待であった。どれほどの期間に及んだのか定かでないほど繰り返され、これには肉体的にも精神的にも追い詰められていった。

挙句の果てには油を撒かれた顔に火をつけられ、見るも無惨な火傷を負った私は、命だけはあん馬鹿に取られてたまるか、と急に何かに憑かれたように、そのマンションにあった大きな鞄の中に、旦那が密かに隠して溜め続けていたお金を詰められるだけ詰めた。

そして旦那のちょっとした隙を突いて取るものも取りあえずマンションから逃げ出し、故郷に向かう電車に飛び乗ったのであった。

なんとか持ち出したお金で古いアパートを借りてそれから二十年があっという間に過ぎた。

二十年の間、あんなに綺麗だった私の変わり果てた姿を自分自身で鏡で直視したことなんて一度もないし、他人の目に晒される姿を想像するだけで吐き気がした。この間、交わした会話など数えるほどしかない。そのすべてが大家さんとの家賃交渉になるだろう。

夢には毎晩旦那の狂ったような顔が現れた。そのせいで人と接することが怖かったし、なにより醜い自分の顔にいつまで経っても慣れることのなかった私は、仕事に就くことはおろか日中外に出ることすらままならず、狭くてカビの臭いが充満する部屋の中で布団を頭から被りながら何かに怯えて一日中過ごした。

そしてこんな顔になる原因を作った姉さんを一生恨み続けようと心に決めた。

二十年もすれば昔の旦那の狂った顔にも多少は慣れてしまったし、鞄にあれだけ詰めて持ち去ってきたお金も底をつくのは当然だ。相変わらず鏡に映る醜い顔は私のものとは思えないが、その歪んだ口元に押し込む食物が私を生かしているのも事実だった。

私は働くことを余儀なくされた。かといって、こんな田舎で人と顔を合わさずに済むような職などあろうはずもない。そもそも職を探すのにも人と関わらなければならない。困り果てた私は唯一顔を合わせて話の出来る大家さんにその月の家賃を渡しながら、仕事を探している旨の相談をしてみた。

すると、このアパートの近くに五年くらい前に建った大きなお屋敷で日中だけの家政婦さんを探しているとの情報をくれた。大家さんが言うには、そのお屋敷の家主とは昔からの知り合いとの話だったが、その方は四十代前後の若さにして超がつくほどの資産家だという。

ご実家は元々この近所にあったものの、当時は食べるものにも困るくらい大変貧しかったそうで、その方はご両親から早くに自立し、遠くへ働きに出たという。

手に職をつけるためなら働きながらでも仕事に役立つことを何でも片っ端から習ったし、自分の利益のためになるなら上の者に対して喜んで機嫌をとったという。その結果として得られる利益は当然のごとく受け取ったしそれを望んで何が悪い、とその方は言うみたいだが、私が実際に一緒に働くとしたら絶対に蔑むタイプだ。

案の定、他の同僚から良くは思われていなかったその方は、なかなか芽が伸びず、伸び悩んだ末に一度は辞めようとしたところ、当時二十歳を過ぎた頃だっただろうか、思わぬ形で後輩から応援を受けたことに刺激され、脇目も振らずに努力を重ねた結果、やがてその道で才能を開花させ、あっという間にひと財産を築いたというわけだった。

そして恩人であるその後輩にお礼も出来なかったこと、その子が辞めた後に何らかの理由で元同期に妬まれて苦難に陥ったというのに救ってあげられなかったことを今でも悔やんでいるというのだ。

何の面白みもなく何ら関係もないそんな話を大家さんから長々と聞かされてまったくうんざりとしたが、広すぎる屋敷内では家人と顔を合わせることもほぼなく、ただ黙って日中掃除をするだけでいい、あなたにぴったりの仕事ではないかとの大家さんからの勧めに対し、それはごもっともだが、と首を縦に振るしかなかった。

それに加えて、ご両親の老後の世話をするためにこんな故郷に戻ってきて大きなお屋敷まで建ててあげるぐらいだからその方も悪い人では無さそうだと安心した部分もあった。求める条件には少なくとも合致したし、こんな田舎で他に比べるべき仕事などそうそう無かったこともあり、私は大家さんの紹介状を持ってそのお屋敷の門をくぐったのであった――。

今となっては昔のことだ。

置屋のお母さんが身寄りのない私にそっと手を差しのべてくれたあの日、花街で売れっ子の舞妓として誰より輝いていたあの日、人生で一度だけの忘れられない恋をしたあの日。

二十歳過ぎの姉さんに“後輩”として嘘の“応援”をしたあの日、“あの舞妓”のせいで顔に消えない火傷の痕を負ったあの日、二十年間孤独に狭くてカビ臭い部屋で怯えながらも“あの舞妓”を一生恨み続けようと心に決めたあの日。

そして彼女の笑顔に思わぬ形で再開することとなったあの日。

大家さんからの紹介状を握りしめてお屋敷の門をくぐった私は、笑顔で迎えてくれた家主の顔の面影に驚きを隠すことが出来なくて――。はて、そのあとどうしたんだったっけ。

もはや記憶を断片的にしか思い出せないほど老いてしまったことは確かであって、私があの笑顔の面影に驚いてからはすでに何十年かが過ぎてしまったことも分かっている。

ただ、今でもこうしてお屋敷の洗面台の鏡を磨いているということは、少なくともこの醜い顔が私のものであるということに、家主である姉さんはまだ気付いていないということか。もし気付かれたのなら私の自尊心が彼女の下で働くことなど許そうはずもない。

ただでさえ、嘘ばかりついていた私への感謝だの、私を救えなかったことへの後悔だのを感じて生きてきたという姉さんに対して、一方の私は彼女への蔑みと憎しみを持って生きてきたという事実に直面し、私の自尊心はほとんど失われかけたのだ。

まあたとえ姉さんが気付いたとしても今度はまっすぐ目を見つめて、また嘘をたっぷりついてやる。もう右頬の引きつりなんて分からないくらいに顔は醜くて、そのうえ皺だらけなんだから。

それにしても――。

私は洗面台で動かしていた手をふと止めて顔を少し上げてみた。そして視線の先にある鏡の中の何者かに向かって、そいつには決して聞こえないように心の中でこう吐き捨てた。

この馬鹿女の顔だけは一生涯、目に焼き付いて離れることはないだろう。

この続きを見るには購入する必要があります

この記事を購入する

この記事のレビュー

0 件のレビューがあります
平均スコア ">

この記事を購入する

>最強のWordPressテーマ「THE THOR」

最強のWordPressテーマ「THE THOR」

本当にブロガーさんやアフィリエイターさんのためになる日本一のテーマにしたいと思っていますので、些細なことでも気が付いたのであればご報告いただけると幸いです。ご要望も、バグ報告も喜んで承っております!

日本国内のテーマでナンバー1を目指しております。どうか皆様のお力をお貸しください。よろしくおねがいいたします。

CTR IMG